日本の司法制度

元日産自動車社長のカルロス・ゴーン氏が逮捕され、保釈中にレバノンに不法出国した件で、日本の検察による取り調べ方法が自白強要型だと一部で指摘されている。

この背景には日本社会に長く根付いている人は性善説が影響してるように思う。 

人は誰も最終的に善人であり、じっくり話をすれば心を開き正直になるはずだ、いやなるべきだと、検察側が心のどこかで思い込んでいるのではないのか? 

検察での取り調べ期間が他先進国に比べ長いといわれ、一部マスコミは「人質司法」等と揶揄しているが、それは検察側に被疑者に自白を強要しているのではなく、人は皆自分を見直す時間がとれればいつか自ら真実を話してくれるはず、それまで、いくらでも待ちますということでは。

かつてドラマ、映画で取調官が被疑者にライトを浴びせながら強面に接するシーンばかり見せつけられたので、今もそんな取り調べが実施されていると勝手に思いこまされていまいか。

ただ、昭和40年頃までは一部にはそんな風景もあったであろうことは否定し得ないが、当時先進国と言われる世界のどの国でもそんな行き過ぎた取り調べは起こり得ていたと思う、いや日本以上に強圧的だったかもしれない。

一方、世界には自分の非を絶対に認めないし、非があってもそれは自分の意志ではなく、第三者によって起こされたと言い張る社会が21世紀の今日でもいくらでもある、いやこのような社会が世界の大多数かもしれない。

例えば外で身近に外してあった腕時計が、その近くを通り過ぎた者に盗まれることは海外で良くある話、この時盗人の言い分は、そこに捨ててあった、と言い張るのだ。

こんな社会での取り調べ方法は、到底真実の自白を期待できない、従って時に拷問が起きうる。

とすると盗んだ瞬間をビデオに収め、その仕草がだれがみても意図的であったと唸らせる内容か、あるいはその人間の普段の素行を知る多くの人間の証言が必要になる。

自ら良心の呵責に耐え兼ね自白を待つ方法では、例え自白をしても裏取りをする為の証言者に限りがあるだろう。それ故自白するまで、あるいは全く事件と無関係であるとわかるまで何度も同じ質問を繰り返しながら拘束時間も長くならざるを得ない。

反対に自白を強く求められない場合はその分、検察側は客観証拠を多く集めなければならないが、そのために被疑者と接点のある者に手あたり次第事情を聞きまくることになり、被疑者にとってはより多くの関係者に自分と事件の関りを疑わせてしまう、あるいは迷惑をかけることになる。

現代社会においてどちらも被疑者の基本的人権を尊重するのは当然としても、日本のように人を性善と捉えた法体系か、諸外国のようにどちらかと言うと性悪説的な法体系を取るかの違いのように思う。

今後日本で外国人が被疑者として逮捕される事案がますます増えるであろうから、日本独自?の性善説法体系では異端に見られかねず、国際基準?なみに性悪説的要素を取り入れる時期ではないだろうか。

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