「安心・安全」 ってよく聞くけど!

電車・飛行機・車・自転車などの交通インフラ、学校・会社・保育所・老人ホーム・スーパーなどの社会施設、食品・医薬品など口に入る物、あらゆる分野で「安心・安全」という言葉が使われています。 東日本大震災後、主に食品に対しマスコミが頻繁に使用するようになった、との解説もあります。                                                               そして「安心・安全」は、上記サービスを提供する側が100%保証すべきものだ、とサービスを受ける側の多くの者が思い込んでいるように感じます。 

しかしながら社会サービスを提供する側はどんなに努力しても100%の安心・安全を提供することは不可能です。                          人の一生をみても、個々人の寿命は誰にもわかりません。親は子供が生まれると少しでも生存確率を高めるよう一所懸命育てる一方、子供はもの心つき始めることから記憶力を増し行動半径を広げます。これは食物を効率よく採り、天敵から逃れ、少しでも自分自身の生存率を高めるために生物の遺伝子に組み込まれた本能です。 だからと言って、現在でも全ての人が100歳以上生きるわけではありません

「安全・安心」には費用と人々の行動制限が求められます。どの程度の「安心・安全」でこれを提供する側、受ける側が折り合いをつけるか、自然災害の多い日本列島に住む我々には先人が培った知恵がたくさん残っているはずです。                                     ことさら「安心・安全」を社会に押し付けたり、正義に結びつけることなく、阿吽の呼吸でお互いに気を遣う社会のほうが成熟し居心地の良いように思うのですが。