安倍仲麻呂
安倍仲麻呂(あべのなかまろ)という名前を小中学生頃に覚えたがそれきりという方が多いのでは?
この人、飛鳥時代の西暦698年生まれ、もちろん日本人です。18歳で遣唐使に選ばれ西暦717年唐に留学した当時の超エリート。ほどなく科挙試験にも合格し唐政権の中枢に入って直接皇帝に重用されたために余人をもって替えがたし、日本に帰国しようとしても許可してもらえず結局帰国することなく73歳で客死したのだそうです。
その間、当時唐の支配下にあった現在のベトナム、ハノイにも総督としても6年程赴任していたそうな。
また現代日本でも名の知れた詩人李白とも親交がありお互いに詩を読みあったもよう。
日本の古代史教育において漢字、仏教をはじめ新技術・文化の多くは当時発展していた中国から伝わったことがクローズアップされるためか当時の日本は中国(漢、髄、唐)に対し受動的な立場だったとの印象をもってしまうのだが、同時に日本には安倍仲麻呂のような人物もいたことももっと認識されて良いと思った次第。
因みに唐招提寺の開祖鑑真和尚が日本に来たのが西暦753年でこの時安倍仲麻呂は既に唐政府の重鎮として高位に活躍していた。
NHK大河ドラマも毎度お決まりの戦国武将に名を借りたサラリーマン出世物語シリーズに頼らず古代に世界に飛びだした安倍仲麻呂のようなスケールの大きな人物にもスポットを当てて欲しいと期待する人は少なからずおられるだろうと思うのだが。
ところで鍼治療が当時の最先端医療体系として書物にまとまったのがAD3世紀頃(後漢)ではと言われています。一方仏教伝来が西暦538年に百済からの使者によってとされており、この間300年前後の時差です。
鍼灸が日本に伝わったことを示す明らかな資料は見当たらないようですが、仏教伝来と似たような時期ではと推測されています。西暦600年に日本が初代遣隋使を派遣し朝鮮半島を経由せず直接中国から情報を得るようになって鍼灸情報も書物とともに大量に流入するようになったと考えられます。
いずれにせよ日本での鍼灸医療術の歴史もすでに1500年を超えているようです。