未病と病気 その1

未病と病気の境目を考えたことがあるでしょうか?

最近聴講した帯津良一先生の講演で”現代医学(西洋医学)は病気に対しては効果を発揮するが未病に対しては治療の手段を持たない”ということを語っておられた。 なるほど、流石上手いことを言うな、と感心しながら、では人は何を持って病気とするのか?を考えてみた。

常識的には、医学的検査によって”異常”があったら病気となる、具体的には熱がある、血液検査の数値が高い、X線検査で骨折が見つかった、しこりがあって細胞診の結果悪性腫瘍だった、等等。

逆にフラフラする等の自覚症状があっても血液検査等に異常なければ病気とはならず特段の処置が必要とされない。

数値化できた物差しで病気の判断をするのは科学的エビデンスに基づき信頼にたる医学なのだが、現時点でも人の体の働きを全て数値化できているわけではないのがミソ。 

一方はり灸治療等の東洋医学と呼ばれるものの判断基準は患者さんの自覚症状と触診等による他覚症状です。血液検査や脳のCTスキャンで異常なくても本人が頭痛を感じたり、触診で異常があれば治療の対象となる。

未病とは現代医学の検査結果、病気とされる症状に対応して生まれた言い方かどうかわかりませんが(古来から未病という言い方があったかどうか未確認)当人がある症状を自覚するか、しないかが未病か健康かの大きな分かれ道と考えます。

長寿社会で求められるのはできるだけ人様の厄介にならぬよう健康を保ちながら自立できて、死ぬ時はさっと逝く、所謂ピンコロだと思います。

本人の自覚症状や触診などで分かる他覚症状を診断・治療の根拠として継承されてきたはり灸など東洋医学の技術は”未病”が取り上げられる現代社会や長寿社会にむしろ合ったものかもしれない。

因みに近年現代西洋医学に対し東洋医学という言い方が出てきたようですが、エビデンス科学に基づくものを学問だとすれば東洋医学という言い方はこれが生まれた古代においては確かに最先端科学であり一学問であったろうが現代科学の下ではその理論に証明できない内容も含んでいることから現代においては学問である医学と称するにはやや不適切で”東洋医術”とでも称すべきだと考えますが。

その意味で”日本の医道”という鍼灸治療に関する雑誌名は上手い名付けと感心します。